2010年9月18日土曜日

六本木 〜都市景観とパブリックアート〜

日差しが照り映える新緑の季節も終わろうとしています。そして、確かな早さで寂々とした秋の色を染め出しています・・・
空も、海も、木々も、町並みも、私たちの心模様も。
秋には葉の色も移ろっていくように、人に心も移ろっていまうようです。そしてそれは時としてとても悲しい。
「変わらないものなんて無い」
秋という季節はこのことを強く教えてくれるような気がいたします。

ひゅるる〜

さてこのような季節感では、(というか時代性というのもありますが、)「町の様相」というのも刻々と変化していきますでしょう。ぼくの地元も、最近大型のマ ンションが乱立しコンビニも増え、ぼくが経験した中で最もはやいスピードで現在変改していっています。変化のスピードが早いと人の心は戸惑ってしまいま す。人間どっちかというと保守的だと思いますし。それにつけても、どうせなら美的な感性をすこしは持って都市を構築していって欲しいものですね。日本の自 治体や政府はこの点はかなり軽薄なように感じられます。しかし中には素晴らしい町並みを持つ場所もあるようです。

そんな訳で(?)
今日のテーマは「都市」と「アート」。
じつはぼく都市計画とかにもすごい興味を持っています。都市計画においてアートがどのように機能しうるかっていうのも研究しがいがあります。
しかしながら、日本の近現代の都市計画においては、「機能性」はそれなりに優先されていますが、どうもそこに美的感覚が欠如してるように思われてなりません。そんな日本の中で、都市における「アート」を深く意識しているところが六本木でしょう。

六本木は日本屈指の知的・金銭的富裕層が集うセレブリティな町ですし、六本木を訪れる多くの人もその洗練された都市景観に憧憬の念を抱くのではないでしょうか。
そしてこの町は都内でも有数の文化エリアでもあります。国立新美術館、森美術館、サントリー美術館のあまりに近接して形作られるトライアングルによって、まさしく日本のアートの中枢を成すに相応しいものとなっています。

だがしかし。ぼ くの印象としては、なんともこの町は「おしゃれぶってて」「きどってて」少し見下されてる感じがして嫌なんです。それはずっとローカルなところでの質素な暮らしが染み付いてしまってるアンダードッグ的価値観のあらわれかもしれませんがw そんなぼくには吉祥寺とか上野とか下北沢みたいな雑然として未整備な街並みが好きです。歩いて見回すとアングラ臭 がぷんぷんする感じ。日本人のよくも悪くも「亜種」というか「雑食」みたいな気質が表れている場所が好きです。(だけど都内で一番嫌いな町はおそらく池袋なんです。これも矛盾。笑)

六本木を「アート」化した立役者としてまず名前が挙るのは、森ビル会社代表取締役社長の森稔氏でしょう。この方を中心に森ビル会社は六本木ヒルズという複合施設を築きあげただけでなく、六本木の路上に多くのストリートファーニチャーパブリックアートを誘致したのです。

本日はバイトまでの微妙な空き時間に、ふらっと六本木によって国立新美術館の「陰影礼賛SHADOWS」を見に行ったついでに、またふらっとヒルズの周辺をぐるっと歩いてみたんです。短時間でも多くのパブリックアートやストリートファーニチャーを見つけることが出来ます。歩くだけで楽しいです。しかし、こんなオシャレセレブな町のそこいらでデジカメをぱしゃぱしゃやる姿はおのぼりさんか中国人観光客くらいなものでなんとも気が引けました。笑

でも折角なのでご紹介を。
(でもやっぱり写真は下手だ。修行中。)
(それぞれの作家について気になったらググるなりしてみてくださいw)

まずヒルズの地上で目につくのはこれですよね。


ルイーズ・ブルジョワ《ママン》
その名の通り、母性を表しているそうです。見ての通り、クモですね。
非常にダイナミックで硬質なヒルズとはおもしろい対称性があります。
真下に入って8本の足の生えた小振りの胴体を見上げると、そこに不思議な「母性」に包み込まれているような感覚になるのです。卵を抱えてるしね。確かにぼくにはその主題が伝わりました。六本木ヒルズにおいて「母なる存在」をシンボライズするわけです。







イザ・ゲンツケン《薔薇》
赤く咲く薔薇は愛や情熱と読み取れますが、それがすなわち、アートや文化をはぐくむ六本木ヒルズの寓意となっているわけです。日本の空に「高く」「赤々と」「咲き誇る」わけです。そしてちょうど東京タワーとかさなるあたりもまた絶妙なんですよね。これまたシンボリズム。



日比野克彦《この大きな石は何処から転がってきたのだろう?この川の水はどこまで流れていくのだろう?僕はこれからどこにいくのだろう?》
日本を代表するクリエーターも作品を提供しています。
ゴーギャンを彷彿とさせるメッセージですね。機能としてはベンチです、よね?
六本木ヒルズを東西に縦断する六本木けやき坂通りは、もう完全にブルジョワたちの聖域な訳ですが非常に洗練されたアートがごろごろあります。おそるべし。その中のひとつです。


内田繁《僕だけを・・・》
これも機能としてはベンチです、よね?
しかし確かにこの躍動的に波打つ外観は多くの魅力を持っています。真っ赤ていうのもまた。瀟酒な都市景観の中にこう、スタイリッシュに、センスフルに、ヴィヴィッドに響きますね。
ちなみにこの作品には愛を奪ってしまった社会への批判も込められているそうです。うん、そこはよくわからなかったです。


アンドレア・ブランジ《アーチ》
これ素敵!電灯がついてるとがなんとも小憎らしいほどのセンス。
背景を切り取る感じも実に芸術的でいいと思います。しかし、実際に町にあっても用途が感じられない不毛なものに見えてしまうことも時としてあるんじゃないのかなーと思います。


もっとこの通りを歩けばいろんなものに出会えたのですが、残念。時間が足りませんでした。(ちなみに30分くらいでこれ全部楽勝で見れましたが。)その他多くのアートを後にして泣く泣くバイトに向かいました。

アートでも時間の不可逆性は避けられない。移ろい行く。ま、アートはそういうのも内包して欲しいんですが。
一度で言いからこの辺に住みたい笑 でも住んだら性格が間違いなく高飛車になるだろうな笑
「アート=セレブの余暇」とでも言わんばかりの景観という風にぼくには受け取れます。なんかなー。いや、でも都市を形作るときのコンセプトとか方向性は素晴らしいんですけど!・・・趣向の問題ですね。ちょっと、本当は六本木を賛美する日記を書きたかったのですが、嫉妬とか憧憬が前面にでてしまいました。悪しからず。

番外編

黒川紀章《国立新美術館》

建築として優れていると思います。
しかし、美術館の入り口にすぐカフェが広々とあるのも美術鑑賞に入る間際の場として、なんとも少し違和感を感じなくもないです。
衛生面とか作品の保全の面とかでも大丈夫なのかなー。ま、大丈夫かw
展示室も「ザ・ホワイトキューブ」っていう感じの完全無機質空間でいいですよね。
乃木坂かたの入り口も未来的で素敵です。


それではどうもこの辺で失礼いたします。

p.s.今年は本当に切ない秋です。はあ。ぐすん。

0 件のコメント:

コメントを投稿