2010年8月30日月曜日

雑記

あいかわらず熱帯夜で寝苦しい日が続いています。
でも気づけばもうすぐ9月ですね。こんなに暑いとやってくる秋の気配なんて微塵も感じられませんね・・・

と ころで9月を題材にした音楽や絵画はそれなりにあると思うのですが、ぼくの知る「9月ネタ」は素晴らしいものばかりです。Michel PetruccianiというジャズピアニストのSeptember Secondという曲は秋の季節を感じさせる叙情的で美しい旋律を持っています。Trio in Tokyoのver.は、演奏者の来歴も含めて感涙モノです・・・
そしてルネ・マグリットの《9月16日》。この静寂の世界。シュルレアリストである作者の深層心理における「秋」の心象とはこういものであったのでしょうかね。

ルネ・マグリット《9月16日》

はてさて、少し更新の間を置いてしまいました。3日坊主になりがちな自分ですがそんなぼくもこのブログは更新のネタがどんどん湧いてくるので、間をおかずさくさく書いていきたいものです。

以上前置きです笑



さて今日(8/29ですが)、
オペラシティアートギャラリー「アントワープ王立美術館コレクション展」
芸大美術館「シャガール展」
に行って参りました。

どちらも展示企画、内容・構成など素晴らしくとても満足できました。
せっかくなので、これらの展覧会のぼくなりの感想と見所紹介をかる〜くしたいと思います。

オペラシティアートギャラリー「アントワープ王立美術館コレクション展」

・ まず新鮮に感じた仮面の画家として知られるジェームス・アンソールが「アカデミスム、外光主義、印象主義」の章立ての中で作品が紹介されていたということ です。アンソールと聞いてまず思い浮かべるのは「仮面」をモチーフとしたカリカチュア風の絵ですが「象徴主義」にカテゴライズされる場合が多いですよね。 そんな彼も以外にも戸外でデッサンしパレットナイフを器用に使っていたんです。意外!!と思いました。
あとは、
・レオン・スピリアールトの重々しい色調の彼らしい作品が見れます。
・マグリット好きにはたまらない作品がきてます。冒頭でも触れた《9月16日》という素敵な絵です。「916」は逆さまにしても同じ、みたいな意味合いでしょうか。シュルレアリスムの解釈は不毛なので深追いはしませんw
・グザヴィエ・メルリの《母の教育》という作品にぼくの全ての鳥肌が総立ちしました。
・コレクション展も見応えがあります。ここのコレクションはぼくの趣味にあいます。ルーツを辿れば当然なのですがね
・時間帯によっては半額で鑑賞できる!!(これ重要!!)ぼくは閉館一時間前にふらっと行ったら「半額で400円です」と言われ驚きました。400円でこれだけ見せてくれるのもお得な話です。


芸大美術館「シャガール展」
・(ちょっと脱線)シャガール展のTVCMのチャラさが気に食わないです。ダイゴうざw までもパブリシティの効果的には女性や若者を中心にあったと思いますけど。ぼくとしては制作者の美的教養を疑います。http://marc-chagall.jp/からみれます。ふじてれ(ry
・エコール・ド・パリだとかのコンテクストとして紹介されるシャガールですが、ロシア・アヴァンギャルドの画家として説明されていたところに学芸員の意欲的な面を感じます。
・シャガールの色彩感覚は脱帽。あの微妙なぼかしやグラデーションはまさしく常人離れした完成の持ち主であるとこを如実に示しています。教初めて彼の作品を見たのですが(すいません)、その有名さや評価も完全に納得できました。好き嫌いはあれど、これはすごいと。
・カンディンスキー=抽象芸術の雄ですが、初期の平穏で安定している風景画の作品があって、これもすごい良かった。この人もやっぱり天才だったんだなあ。
・てか芸大生うらやましいな。ミュージアムショップのすぐ下で学食を食べれるなんてw


今日はそんな「嬉しい裏切り」がいっぱいあった日でした。
ちょっと内容の薄い日記になってしまいましたが悪しからず。

マグリットもアンソールもシャガールもちゃんと後ほど詳しい記事を書きます!
では失礼します。


2010年8月16日月曜日

レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519年)

美術史において燦然と輝くこのお方。
盛期ルネサンス、ひいては人文主義を代表する「万能の天才」。これくらいで説明は十分でしょう。

さて、この度はフラ・アンジェリコの記事と同様にタリア旅行(2008年)の回想・旅行記の一端をいまさら書くような気持ちで、レオナルドの足跡をたどって行きたいと思います。
※フランスとかは行ってませんw
※出典の書かれてるやつ以外、全てぼくの撮影です。写真もうまくなりたい。


1.フィレンツェ


まずはフィレンツェから始まります。
レオナルドはヴィンチ村で生まれる訳ですが、やがてフィレンツェで絵画活動を始めメディチ家の庇護もうけるのです。

フィレンツェ!

ふいれんつえ!!

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

テンションあげつつレオナルドの足跡を辿って行きましょう。
まずはウフィツィ美術館


あ、いらっしゃいました。


では早速入館して、絵画を探してみましょう。

さて・・・、おっ!
ヴェロッキオ《キリストの洗礼》、1474-75年
出典:Web Gallery of Art
師匠さんのヴェロッキオをぎゃふんといわせたこれ。レオナルドは左端の天使のみを助手として描きました。右の天使と比較してみると、やわらかな血の通った 人物の描写力が優れていることがわかります。師匠は弟子の絵のあまりの出来映えに生涯絵筆を捨ててしまったと、ヴァザーリは伝えています。っていう逸話。

む、巧みな透視図法っでやつですな。奥行き表現が秀逸です。
《受胎告知》、1472-75年、ウフィッツィ美術館
出典:Web Gallery of Art

描きかけだ!色つけずにほっぽちゃった。
《マギの礼拝》、1481-82年、ウフィッツィ美術館
出典:Web Gallery of Art


主題はともかく「堅実」な画風ですよね。
《レダ》、1508–15年、ウフィッツィ美術館
出典:Web Gallery of Art


素描も何点かありましたが、ここでは割愛しますね。

ウフィツィのすぐとなりに位置するここ。

かつてメディチ家が政治権力をふるった場である市庁舎、ヴェッキオ宮
この中の・・・

500人広間。 ここでミケランジェロとレオナルドが大画面の絵で勝負したのです。向かい合った壁面にそれぞれが大作を描いたらしいが、現存じない。しかし、現存しないと 思われていたレオナルドの作《アンギエリの戦い》はどうやら壁の下にある、みたいなことをどっかテレビなんかで見た記憶があります。この絵はルーベンスら の模写は存在するので、過去に鑑賞できたことは間違いないです。

いや〜、レオナルド先生は逸話に事欠きませんね。さすが万能の天才。


2.ローマ

そして一端ローマへ。

ヴァチカン!!!サン・ピエトロ!!

ひょー!カトリックの総本山。圧巻でした。

ここの付属美術館にこれがあります。
《聖ヒエロニムス》、1474-76年、ヴァチカン美術館
出典:Web Gallery of Art

あ、おめあてはこれです。これだけしか、レオナルド関連でめぼしいものは無いのです。
彼は実際におとずれていないみたいですしね。


余談
ラファエロ《アテナイの学堂》、サン・ピエトロ大聖堂
レオナルドに似せたプラトン、ミケランジェロに似せたアリストテレス。なんとも人間関係を語っているようで素敵ですね。ルネサンスの天才→古代アテネの天才。それを描くラファエロもまた天才。

また別の機会にいっぱい紹介しますw
ちなみにこの頃は円に対してユーロが歴史上最も高かったときでしたw
にしても観光客はまじで多かった。


3.ミラノ

みらの!!ここもいいとこだったな。イタリアの中で最もおされな町。

でもこの日は雨。

み・ら・の!!
ガレリアの下なら大丈夫!

あら、こちらにもおいでで!どもども!

どこでも思索なさってるんですね。

レオナルドはミラノのスフォルツァ家に自薦状を送り、フィレンツェで描きかけの絵をほっぽって、スフォルツァ家のお抱えとなるのです。
彼の活動拠点はどんどん北上していくわけですね。晩年はフランスに赴く訳ですから。

スフォルツァの城、スフォルツェスコ城。ここに暮らしたこともあるのかな。

それにしても重厚な外観ですよね。

そしてンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

ここにあるのは・・・最後の晩餐
《最後の晩餐》、1498年、サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会
出典:Web Gallery of Art
何重もの扉でかなり厳重な保護下にありました。入るには事前予約が必要で鑑賞は15分のみ。それでも見れたことは言われようなのない感動でした。
実際に見る事によって、これこそ歴史的傑作とよぶに相応しい品だと実感できました。「本物」のすごみというのは美術鑑賞の醍醐味です。


レオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学博物館!
彼に関する科学全般の展示があります。ぼくはスルーしましたww
だって他に見たいとこいっっぱいあたんですから。

アンブロジアーナ美術館
ここには隠れた名品があります。
《音楽家の肖像》、1490年
出典:Web Gallery of Art

「ダ・ヴィンチらしさ」がよく出てますね。



続きはフランスです。
フランソワ1世がイタリアに攻め入りスフォルツァの領主が失脚すると、今度はフランソワ1世のおかかえになり、そしてイタリアに戻る事なくフランスの地で生涯を閉じる訳です。

続きを書くならルーヴルですよね。
・・・行った事無いんですw 行きたい!モナ・リザ見たい!
行かなきゃレオナルドについての話が完結しません・・・。

イギリスにも彼の重要作は何点かありますし、その他ヨーロッパにはちょこちょことレオナルドの作品が点在しているみたいです。
これらは今後更新できることをぼく自身願いますw


以上、イタリア旅行の一部でした。
TO BE CONTINUED!!!

結論
①イタリアまた行きたい。
②でもイタリアだけじゃ、やっぱレオナルドの作品はカバーできないね。
②とりあえずフランスに行きたい。


2010年8月14日土曜日

ピーテル・ブリューゲル

今回はピーテル・ブリューゲル(父)です。

現在開催中の東急文化村で開催中の『ブリューゲル 版画の世界』(7/17~8/29)を意識しました。この展覧会の感想と兼ねてブリューゲルに関する私的な見解を綴っていこうと思います。

公式サイト
(↑↑フラッシュとかが凝ってて素敵です。ブリューゲルの画中の怪物が動くトップ。「キャラクターギャラリー」もおもしろいです。)

展覧会概要


章構成
プロローグ
第一章 雄大なアルプス山脈の賛美と均衡の田園風景への親近感
第二章 聖書の主題や宗教的な寓意を描く
第三章 武装帆船やガレー船の驚くべき表現力
第四章 人間観察と道徳教訓の世界
第五章 諺(ことわざ)を通じて知る「青いマント」の世界
第六章 民衆文化や民話への共感
第七章 四季や月歴で表現でつづる市民の祝祭や農民の労働


農民などをモチーフにした油彩 による風俗画で有名なブリューゲルですが、この展覧会では彼の絵画制作の原点である版画のみを扱っています。(ちなみにブリューゲルは基本的に版画の原画を考案しただけで彫り師は別の人物です。)
説明は上のソースを参照。
扱われるモチーフの共通項として挙げられるのは、民衆に近接したモチーフだということです。生活者主義。(というと博報堂みたいw)受容者として意識されているのは富裕な王侯貴族などではなく、一般的な大衆としての都市市民なのです。
時代的には江戸時代に多色刷りの版画として浮世絵が流行しますがそれより150年近く先をいっているわけです。
ブリューゲルと同時代人は信長あたりかな?

あと、展覧会として「楽しめるコンテンツ」の工夫があったのもぼくには好印象でした。
ブリューゲル絵画をCGで動かしたり、怪物をフィーチュアしたりetc。
会館当初はかなり先進的だった文化村も最近はかなり落ち着いていましたが、今回は文化村っぽさが押し出されていて良いと思いました。

私見ですが、この展覧会は「アートを享受する!キリッ!」みたいな高尚なものではなく、「え、きもっ」とか「これうける」「これかわいい」みたいにツッコミを入れつつ楽しく見るのが、最良の鑑賞法だと思います。おすすめです。




さてこの展示企画の監修を指揮された森洋子先生は、 去年まで僕の通う大学でも客員講師として授業を持たれていましたので、これはチャンスと思い僕も授業を聴講していました。後期の講義内容はほとんどこの企 画展の関連で、ブリューゲル版画も多く解説して下さいました。(先生は機械にめちゃくちゃ不慣れだったり、おっとりした方でとても和やかな授業でした。眠 かった…。しかし先生は日本における北方ルネサンス研究の第一人者であり権威です!)

講義中先生が解説なされた作品で、かつ、この展示でも鑑賞できた作品を何点か紹介します。(展示品の主立ったものはほとんど紹介してくださいましたが。)

ピーテル・ブリューゲル(父)《大きな魚は小さい魚を食う》
1557年 エングレーヴィング  ベルギー王立図書館所蔵
タイトル「大きな魚は小さい魚を食う」にある通りの諺の寓意画なのですが、諺の意味は「小さな権力は大きな権力にのみこまれる」ということ。わかりやすい。しかし、まあ、ぱっとみ気持ち悪くないですか?笑 魚が魚をもどしてる。魚もカエルみたいで気色悪い。
そんなへんなとこが大好きなんですが。
それはそれとしてまず注目して欲しいのは、画中にある文字。(以下、全て森先生の講義で紹介されたものです。)


[ecce]エッケ
つまり「ごらん」という意味です。子供に対して諭してる訳ですね。




ここにある文の意味は「(ヒエロニムス)ボスに借用した」
つ まり・・・これは元ネタはブリューゲルではなくヒエロニムス・ボスにあり、ブリューゲルがそれを公的に借用したということを意味します。うーん興味深い。 ちなみに「7つの大罪」などの元ネタもボスみたいです。(あとボスはブリューゲル以上の珍獣を描く事で有名でぼくも大好きです。)


あとここにるのは・・・近代化の象徴のクレーン!めちゃちっちゃいです。


こいつは・・・「とびっこちゃん」じゃないか!wかわゆす!
いやーブリューゲルやボスの「珍獣」は見ててどことなく和むものがありますw



みなさんも実際に見てみて下さい。
おもしろい視点をご教授してくださりありがとうございました。
(単位評価は前期も後期もAでした♪)




ピーテル・ブリューゲル(父)は北方ルネサンスの帰結とでもいうべき画家です。(同名の息子ピーテルも画家となったため父と表記。)
では北方ルネサンスとはどのような絵画の潮流なのか。

イ タリアのルネサンスの画家は、古典古代に版をとり厳格な素描と解剖学に基づく人体表現や、安定した構図を重んじたのに対し、北方(アルプス以北:一般的に はドイツやネーデルラントを指す)ルネサンスの画家たちは、日用の品々の細密な描写、鳥瞰図的な風景の描写の中に、感心を見いだしていたのです。つまりよ り「日常」に興味を持っていた訳です。それはネーデルラントという土地柄、市民主体の商業都市の性質とプロテスタントの思想背景があったということとも無 関係ではないでしょう。
そして抽象的なとこを言いますが、イタリアと比較した際に、北方は「形式」よりも「内容」を重んじる傾向にあるように思われます。
換言すると「ゴシック的」傾向や「ロマン主義的」傾向が北方の歴史的に、強いと言えるかもしれません。

アルブレヒト・デューラーが北方とイタリアの様式を統合し大成したのに対し、ブリューゲルは北方的な領域を追求しました。そして、もちろん農民に大々的に焦点を当てた画家としてかなり画期的であるのです。

通史的な美術史のコンテクストの中で見てもおもしろいですね。

まとめ
①ブリューゲルの絵はへん
②でも、おもしろい。展覧会は楽しめるような視点がいっぱい
③北方ルネサンスはイタリアと対比するとおもしろい。



<いつも長々おつきあい有り難うございます!ではでは。

2010年8月11日水曜日

iPad×美術 〜美術鑑賞の革新〜

今日も夏まっさかりですね
でもぼくは室内です。



私事ですが、
iPadを買いまして、それがほんと

たのっし〜〜〜〜んです!!

もうずっとかじりついてます。(この文章作成もiPad⇒evernoteです。だからフォントやら変わっちゃいました。)
早速いろいろアプリやらなんやら試しています。

ここで便利アプリやおもしろアプリを片っ端から紹介したいのですが、絶え間なく続いてしまいますし、有力なソースは他にいっぱいあるので、泣く泣く割愛します。この場で敢えてぼくが紹介したいのはこれです!

iPad × 美術


iPadの登場によってビジネスや教育など様々な分野で『革命』が起きている(らしい)のですが、美術鑑賞のあり方にも変化をもたらしています。

その一端を順番に紹介していきましょう。
(あ、ここではアート制作型の絵描きアプリじゃなく、アートの鑑賞のアプリです)


1. Art Authority (iPad)


iTunes Store:

西洋美術の作品を内蔵し、自由にアクセスできるレファレンス系のアプリなのです。しかしこれがすごい。


トップページです。



フリードリヒのページです。

なんと内蔵しているのは
1,000以上もの画家
40,000以上もの作品
そしてそれらが時代・様式ごとにチャプター分けされています。

自分の手の中で、好きな様式、好きな画家、好きな絵画に簡単にアクセスできます。ブラウズも非常に快適。チャプター設定・カテゴライズも…まぁ…合格です!(ちょっと苦しいとこもあるけどw)
そして内蔵データは上にある通りかなり豊富です。それなりに体系的に美術史を学んでいるぼくにとっても、何一つ足りないものは無いように思われます。少なくとも1,000円以上の価値はあるでしょう!

そしてなによりインターフェースが美しい!
美術館に展示されてあるよう洒落たデザインになっています(中には嫌がる人がいるかもしれませんが)
絵画の画質も全く気になりません。充分な解像度です。

難点を挙げるとすれば
・¥1,000が高いw
・画家の情報ソースがWikiedia
・英語のみ(ぼくとしては構わないのですが)
・ベルギー象徴派の画家など欲しい画家が入ってない。(個人的に痛い)

昨日DLしましたが難点はあれどぼくはルンルンです。活用シーンもそれなりにあるんじゃないかなと思います。アートに興味を持つ方には激しくおすすめアプリです。



2.オルセー美術館展2010(iPad,iPhone,iPod touch)


DLされた方も多いように思われます。
これは、オルセー美術館展(会期あとわずか!絶対行くべし!)の宣伝・広告のためのアプリといえるでしょう。制作は日経。
展覧会の見所や展示作品、また展示構成も充分に説明されている他、画家の簡単な来歴もわかります。
歴もわかります。


優れているところ
無料!!(これ一番重要!)
音声ガイドつき!!

しかし難点としては
・画像が粗い
・インターフェースがいかしてない。やや粗雑。
などでしょうかね。贅沢言ってますが。


ロートレック

しかしこれは画期的です。美術館紹介をアプリですることによって、ぐっと宣伝効果が高まりますし(視覚芸術なら特に!)、実際にこれで「行ってみよう」という気をおこされた方もいると思います。
広告・宣伝としては十二分の効果を持っているといえます。

iPadが美術展の広報活動の新たな次元を切り開いたと言えるのではないでしょうか。



3.セカイカメラ(iPhone, iPad)


自分のいる現在地や、その他世界各地に実際の映像を通して、エアタグ(付箋のようなもの)やサウンドタグをおのおのが張り付けて、閲覧することが可能。

カメラを使った新感覚のブログチャットというかんじですかね、SNS的な感じです。


iPadのセカイカメラでみた秋葉原

しかし・・・iPadにはカメラがついてないしいまいち使い方が良くわかりません(誰か説明してくださいww)

しかし、なんと!このアプリに対応した美術展のイベントがあるのです!(ぼくはまだ実際にこれを体験してはいないですが)

「マン・レイ展」&「セカイカメラ」コラボ!

ぼくは体感してないので詳しくはこちらを


これもタイアップとして画期的ですよね。マン・レイ展にあっていてアイディアが良いし、すごいおもしろそう。近々実際に行ってきます。
ただこれは完全にiPhoneで楽しむアプリであってiPadでは楽しめませんね…。


4.iPadを導入した美術館

群馬県にある、群馬県の富弘美術館(星野富弘さんの作品展示で有名)では、喫茶店で注文した来館者に無料でiPadを貸し出す試みが行われています。

詳しい情報は以下

ソース


美術館の普及活動として、この試みはかなり有意義だと思われます。
こんな利点があるとぼくは思います。
・鑑賞の手助けとなる
・直感的な操作で、子供からお年寄りまで楽しめる(iPadの強み)
・試みとして話題性があり、それだけで美術館普及につながる

美術館は藝術鑑賞の場でもありますが、そもそも生涯学習を担う重要な場であるのです。この場における機能に奉仕するツールとしてiPadはかなり適していると思います。
考え方次第では、もっともっとおもしろい企画ができそうです。





さて、何点か紹介したのですがぼくがこう結論づけます。


「iPad×美術」でおもしろい企画がどんどん生まれている

iPadにはまだまだ期待できる(未来性がある)

iPad関連の企画・コンテンツの良さは「楽しい」「クリエイティブ」「インタラクティブ」

今後ともiPadくんに期待ですな。
(なんか狂信者みたいになってしまいましたがww)

そんなこんなで今日も失礼いたします。

2010年8月10日火曜日

ヘンリー・ムア

さるすべりの奇麗な季節になって参りましたね。今日は少し涼しくて過ごしやすい日でした。 さあ、今回はここに行って参りました!(今日じゃありませんがw)

ヘンリー・ムア展 @ブリヂストン美術館


現代の彫刻家です。

結論から言うと、行くことをオススメします。強く。
玄人はもちろん、美術館やアートに興味の無い方も是非行ってみて下さい。

なぜか。
①芸術を見る目が身に付く。気がする。
②常設展もあるので展示は充実している。

私企業が持つ美術館なのに展示は充実してるし、入場料は安いし言う事ありません。どうやって経営がなりたっているのか不思議ですが(計上される支出はイカホド)、ブリヂストンのメセナに対する意識の高さがうかがえます。素晴らしい。

ヘンリー・ムア(イギリス、1898〜1986)について
彼の立ち位置としては(一概に分類的に割り切るのは良くないですが)、一般的にプリミティヴィズム(=原始への回帰)カテゴライズできます。ジャン・アルプらから、構成主義や幾何学性とは対照的なアメーバのような質感を持ったシュルレアリスム的形態を継承しつつ、ゴーガンから端を発する原始に対する強い意識を主な主題とします。そして、もちろん戦争体験も大いに創作活動に影響を及ぼしたでしょう。

ちょっと説明を
  • プリミティヴィスム:20世紀初頭のモダニズム運動は、絵画だけでなく彫刻にも大きな変革をもたらした。19世紀はロダンで概 括されるとすると、先の時代はルネサンス以来の西欧の伝統の線上にあると言える。しかし20世紀の彫刻に大きな影響を及ぼしたのは西洋の伝統もあるが、ア フリカ、オセアニアなどの原始民族の彫刻や仮面である(これらは植民地支配によってもたらされ、万国博覧会や民族学博物館などで紹介された)。加えて、表 現主義を意識し、自然に倣った形態を大きく逸脱し極端なデフォルメを加える。プリミティヴィズムとは一言で言えば、伝統的な価値観、固定観念、権威、制度 などとは関わりのない原点への回帰、萎えた文明の否定と力強い自然の生命の肯定にほかならなかった。(参考:『新西洋美術史』西村書店)

個人的に彼の作品から得た印象としてはこんな感じ。

崩されて抽象的な形。
だからといって伝わらない事は無い。
だからといって美しくない事は無い。

まー識者の方にいわせれば「何を当たり前なことを!」といわれそうですがw
ロダン《地獄の門》一部
1880〜(未完)、国立西洋美術館、東京
ロダンとかブルーデルのような作品は言うまでもなく主題が伝わる。言ってしまえばわかりやすい。写実的で即物的であるから自ずとメッセージ性が強い。これが19世紀的彫刻。

ジャコメッティ《歩くひと》
1960年、クレラー・ミュラー美術館
しかしたとえば、これ。20世紀の彫刻はこうなりまます。写実的でなく表現主義的で抽象的なのに、伝わるものは多いと思う。
 
歩いているという動作が、直球で伝わってきませんか。抽象的で現実を大きくデフォルメしてるからこそ表現できるのです。そして造形的にも美しい・・・というかっこいいw
まー一重に主観によりますが。げーじゅつなんて。しかしこうした視点を意識することで、藝術鑑賞が何倍にも楽しいものになるでしょう。好きな作品に出会える機会も増えるでしょう。この展覧会だと、このことが強く意識できるんじゃないかと思います。
(また例によって上の2点は本展とは全く関係ありませんw)

本展覧会のネタバレします。

構成としては
第一章 生命(いのち)のかたち
第二章 ストーンヘンジーー有機的なかたち
の二部構成になっています。

彼の作品は量感があり、存在感があって、単純なかたちの中に、力強いいのちを感じさせてくれます。
ヘンリー・ムア《ヘルメット・ヘッドNo.6》
ブロンズ、1975年
どうですか。これ。
ヘルメット=敵兵の銃弾などの攻撃から身を守るもの。
→繊細な「内部」をまもる頑丈な「外殻」
→外と内のモデル。子宮を連想させる。生命のはたらきをあらわすような造形。

彼の作品は生命の肯定や賛美につながる場合がおおい。そしてぼくは、そこが、本当に大好きです。
母と子の愛と絆を語る。しかもこのような抽象的な造形で。イイハナシダナー
意味内容を捨象して、造形のみに注目してみても美しい!

是非、実際にご覧になってください。

しかし、今まで抽象性を賛美するような文章をつづっていましたが、言っておきたいのはただ、単純化してかきたくれば芸術になるというような思考が横行するのは、許せないです。
抽象化の流れは当然そうした帰結を生むんですがね。
余談でした。

結論
①この展覧会は抽象芸術を見る目をやしなえる!
②ヘンリー・ムアの作品は・・・良い。
③しかし、内容の無い抽象は無為だ。

ぼく個人の近況
・iPadを購入しました!楽しい!
・美術品のディスクリプション(外観の記述)能力が欲しい!!

2010年8月9日月曜日

フラ・アンジェリコ

さて第二回にお届けしますのは、イタリア初期ルネサンスの画家、フラ・アンジェリコ(フィレンツェ、1387〜1455)です。

イタリアには一度しか行った事が無いのですが、2週間の旅の中で本当に素晴らしい芸術作品の数々を堪能することができました。旅行記もいつか別に書きたいところです。


フ ラ・アンジェリコはドメニコ会修道士であり、その制作活動は主にフィレンツェのサン・マルコ修道院でした。時の権力者コジモ・デ・メディチ(老コジモ)の お抱えの画家でありローマでも制作活動を行いましたが、その画風は「天使のよう」だと賞賛されたのでした。ここからフラ・アンジェリコ(=天使)と呼ばれ るようになったのです。

ちょっと解説
  1. 初期ルネサンス:ルネ サンスは一般的に15世紀イタリア(とくにフィレンツェ)に登場「合理的」に芸術を表現しようとする運動である。①透視図法(消失点をもつ遠近法)で空間 をとらえ、②比例関係・数量関係で画面と構成し、③調和のとれた幾何学的構図を重んじ、④写実性(人体などの素描etcにおける)を重視するような、最も 最初期の「近代的」な芸術様式ということができる。ルネサンスは以上の特質の徹底度から、初期(15世紀、ブルネレスキ、ドナテッロ、マザッチョ、フィ リッポ・リッピ、ボッティチェリetc)と盛期(16世紀、レオナルド、ラファエロ、ミケランジェロ)に分けられる。
  2. 15世紀のフィレ ンツェ:中世から毛織物業や金融業で富をなし、15世紀で最も栄えていた都市と言っても過言ではない。さらに、封建的支配層に組み込まれず、共和制として 自治都市であった。しかし、共和制の中で巧みな政治手腕と圧倒的な経済力で登場してくるのがメディチ家である。フィレンツェの財界・政界の頂点に君臨しな がらも巧妙に民衆の支持を得たが、メディチ家のこうした力がフィレンツェの文化的推進力になったことも間違いない。ジョヴァンニ・デ・ヴィッチ、老コジ モ、ピエロ、ロレンツォは政治的・経済的にも大成功をおさめつつ、その莫大な財力で多くの画家、建築家を庇護し芸術活動を行わせた。ロレンツォの死後メ ディチ家はフィレンツェから追放されてしまう。そしてかの有名なサヴォナローラによる神権政治が一時的に行われるのであった。
かなりざっくりですが。メディチ家の話やサヴォナローラの話は歴史的に見てもおもしろいところなので多くを語りたくなってしまいます。これも今後の課題としましょう。

さて本題。
サン・マルコ修道院ファサード (写真はぼくが撮りましたよ!)

彼はかなり敬虔な修道僧でありほとんど修道院内で過ごし神職として仕えたようです。彼が過ごしたのはフィレンツェにおけるドメニコ会の拠点であるここ(上)。代表的作品もここにあります。建築自体もメディチ家お抱えのミケロッツォによって設計されました。

内部(全面撮影禁止)に入ってみると、中庭を囲んで礼拝堂や客室があり、客室は今は美術品の展示室として使われています。静かで落ち着いた、おもむきのある良いところです。
回廊を抜け階段をのぼると、正面に見えるのがこの絵!

《受胎告知》、1442年
フレスコ画、サンマルコ美術館、フィレンツェ
実際に見てない方に問いかけるのもあれですが、どう思いますか?

「(・∀・)イイネ!!」
「ダヴィンチのがすげーじゃん?」
「ノホホンとしてるネ(´・ω・`)」
とかでしょうか、想像だとこんな解答がかえってきそうですがw、ぼくは好きです。

単純で落ち着いた構図の中にある、静謐さ。
ぼくは宗教画としてみると、このようレベルの写実性や色合いや空間の捉え方が、最も深い精神性を醸成し、見るものの信仰心に訴えかけるものであると思います。

中 世のゴシック的世界観とは一線を画しながらも、どこかこの世とは違う異次元の出来事のように思えます。列柱廊と、そのコラムに支えられる尖塔アーチを有す る建物は、明らかにルネサンスの建築様式を表していますが、今の目で見るとなんとも幻想的な空間のように思えませんか。
そして聖母に処女懐胎を告げる大天使ガブリエル。2人の関係は静寂に包まれながらも、腕をおなかの前で重ね、目線をしかと相手に向けていることから、物語の本質であるマリアの内面が語られていることがわかります。

じわーっと、しみじみと、ひしひしと、「ああ、いいな」と思います。

(とまあ、このような見方は人それぞれで、これはぼくの主観に依拠してる分けですが)

そしてこの絵の背後には僧房(修道僧が生活すつ実に簡素な小部屋)がつらなっており、その小部屋の一つ一つの中に宗教画が描き込まれているのです。
かれは豪華に彩色された祭壇画も手がけましたが、僧房内にある宗教画はどれも抽象性が高くシンプル。しかし、宗教画としての本質のみを取り出し必要なものしか描き込まないのです。なんてストイック。


《キリストの嘲笑》1438-1443年、フレスコ画
拡大版
……。

どうですか。なんか、おっさんの顔浮いてるし。手だけが浮いてるし。むしろ逆に今のモダンな感性に反応するかもしてませんね。
しかし描かれているのは宗教の物語を伝えることにおいて最低限必要なものだけなのです。キリストに罵声を浴びせるものの頭部、暴力を与える腕。キリストの手には権力の皮肉の象徴として手渡された玉と葦が握られている。フラ・アンジェリコにおける目標はただ一つ「物語を視覚化すること」だけなのです。

この目標のために、彼は本当にストイックで、グロテスクな表現もいとわないのです。(僧房の作品の中にはグロテスクで痛々しい作品しかないのです。こんな僧房でよく暮らしたなみたいなw)

この独房の連なる廊下を抜けたところに、
・・・
サヴォナローラの部屋があるのです。そう、彼もドメニコ会僧でありサン・マルコ修道院の僧だったのです。(フラ・アンジェリコとはあまり関係は無いので割愛)


今回のまとめ
①フラ・アンジェリコは落ち着いてて静かで、宗教画のかがみ
②物語と語ることに特化した「真の」宗教画


フィレンツェに行ったならば是非訪れて下さい。他にスポットが多いからなかなか日本の方は行かないみたいです。

あ〜イタリア行きたい。でも一番行きたいのはドイツ諸都市。次にウィーン。その次にロンドン、パリ、ニューヨーク、…その次くらいかなw

2010年8月8日日曜日

マン・レイ

記念すべき最初の記事になります。
最初に断っておくと、このブログは客観的な美術史を概説して並べるものではないです。
そんなするなんて大それていますし知識も無いです。

このブログの目的は
①自分が実際に目にした作品に絞り、
②ぼく独自の目線(主観的、やや偏見や臆見がいりまじった)で捉えられた
③エッセイのようなつもりで書いた美術史です。


しかし、読んでくれる方がいればとても嬉しいですし、コメント大歓迎でむせび泣きます。
反対意見や批判も謹んで頂戴します。

前置きはこんな感じにして、


記念すべき第一弾は
マン・レイ展 @国立新美術館
http://man-ray.com/

テーマはダダイスム。いきなり、知識が無に等しいところから書き始めます。
  ←ダリ(左)とマン・レイ
Man Ray(1890〜1976)は東欧系ユダヤ人移民の子としてフィラデルフィアに生まれる。活動は主にニューヨーク⇒パリ⇒ロサンゼルス⇒再びパリであるがパリでの評価が高い。
主に写真家であるが、油彩やリトグラフなど平面絵画、彫刻などの造形、または短編映画などの映像作品を手がけた。方法論としてはダダイスムやシュールレアリスムと近接し、ダリやピカソ、エルンスト、デュシャンなど多くの前衛的な芸術家と知遇があった。彼の詳細についてはwikipedia等参照のこと。http://ja.wikipedia.org/wiki/マン・レイ

言ってしまうと、ぼくはダダイスムが嫌いです。(「好き」だと思う人はいるのか疑問です・・・)
ダ ダイスムとは美術史において最も過激で前衛的な運動で、20世紀初頭のスイスに端を発します。代表格としてはまず挙るのはマルセル・デュシャンでしょう。 ダダイスムはフォーヴィズムやキュビスムといった他の芸術運動とは違い、過去の様式を一切否定し破壊することを目的とします。西欧近代の資本主義的・物質 主義的・功利主義的価値観に嫌気がさしたダダイストは、無政府主義的に、「美」「調和」「色調」を揶揄し、嘲笑し、破壊して、「騒音」をあびせるのです。 とりわけデュシャンの《泉》や《L.H.O.O.Q》がその性質を端的に表してくれます。



マルセル・デュシャン《L.H.O.O.Q.》、1913年、個人蔵




(あ、これは展示作品とは全く無関係ですww)
この作品は、モナ・リザに髭を加えただけです。おちょくりのイデアとでも言っときましょう。幸い、現在において、真似したり、追随するなんてことはされないでしょうね。ダダイスムの真似とはすなわち自己矛盾だから。


今回のマン・レイ展にもこのようなダダイスム的作品はありました。たとえばこれ。
  


《ピカソによるマン・レイ》、1934年のピカソによる作品の記録写真、制作年代不詳



こ れは、マン・レイがピカソを描いた作品(油彩)を、さらにマン・レイが写真で収めた写真(ゼラチン・シルバープリント)であります。これは記録写真だか ら、デュシャンのような引用して揶揄するみたいな考えでは無いのですが、美術館にこれが飾られていると何か違和感を覚えてしまいました。「作者」というも の所在がどこなのだろうかと。ダダイスム的な要素がうすーく感じられたのでしょうか。少し嫌悪してしまいました。
同じ事は、その他の記録写真にも言えます。エルンストとかルソーの作品の写真もありあした。

(個人的にはピカソも、エルンストも、ルソーも才能ある素晴らしい芸術家だと思っていて、いつか必ず触れます)

ぼくはダダイスムという形の無い魔物は嫌悪してます。しかし、マン・レイは好き・嫌いを別にしてかなりの天才性を感じます。

今回の展示品中では、ネガ・ポジのセットの作品やレイヨグラフの諸作品は、素晴らしく芸術性が高く、好きな人はドツボでしょう。そして、特筆すべきは映像作品でしょう!しっかり映像作品も見れるのが今回の嬉しいところでした。
ですが、まだまだ彼の本領を発揮する作品は、あまり今回の展示には来てないといえます。
画集を見る事をお進めします。マン・レイの写真はスゴい。特撮(知識がかけている故の不適切な言葉)による、写真の表現力は今でも斬新で鮮烈に映ります。そして官能的でやや過激。(言葉うまくない!)

さて、そんなこんなで第一回目の記事の結論
①ダダイスムは理論だけしかおもしろくない。食えない。
②マン・レイは天才。しかし今回の展示じゃもの足りない


記事を振り返っての反省点は
・まとまりがない
・言葉がうまくない
とかですかねww

改善しますー。ではでは。